バノン前王崩御 
2012/3/4*SAI・Photoshop

レバノン前王には子供が5人いた
長女は淑やかで弱き者のことを第一に考え
長男は豪傑で強くなることを第一に考え
次男は放蕩者で自由を第一に考え
三男は聡明で利を第一に考え
四男はまだ幼いながらも調和を大切にしていた

その中の長女長男三男は折り合いが悪く
レバノン前王が倒れた時、これは争いになるかと思われた
次男は争いに巻き込まれるのを嫌がりそうそうに継承権を放棄した

だが事態は四男の懸命な説得により好転
レバノン王国は史上初めての3王体制を敷く見込みとなった
長女は医療福祉・教育・インフラ
長男は軍事・祭事
三男は技術開発・金融政策等
それぞれが得意とし重視することを担当
足りない部分は知恵を出しあい補いあう体制に
かねてから問題であった貴族による陰湿な不正工作も見咎めやすくなり
レバノン王国はさらなる発展を遂げるだろうと思われた






  濡られた王宮 
2012/3/4*SAI・Photoshop

しかし、戴冠式を一週間後に控えた夜、何者かに長女、長男、三男は殺害される
翌日、密告により四男の母である第二王妃の犯行だと判明
彼女はどうしても息子に王位を継がせたかったのだ
審議の末第二王妃は火あぶりの刑に処されることとなった

この事件から四男を王にすることに反対の声があがり
次男を呼び戻すことと相成ったが
次男は王位継承を頑なに拒み
近衛騎士として四男に忠誠を誓い支えると宣言し議会を黙らせた

かくしてレバノン王国は幼き四男・セオエルを王に戴くこととなった






  交危機 
2012/3/4*SAI・Photoshop

セオエル王が幼い間、レバノン国内での政治は主に摂政が取り仕切り
アゼルトリアへの外交の場では王兄が名代としてでることにより難なきを得ていた

だがしかし時が経ちセオエル王が政治の場に立つことになった途端アゼルトリア側の反応が芳しくない方向へと転落した
15という年齢は若すぎたのだ
これにより予てよりアゼルトリア側にくすぶっていた
「聖女を輩出したのは我が国なのだからレバノンは属国で有るべき」と主張する一派が勢いを持つことになる
聖女はレバノン属国派に考えを改めるよう通達をするが
そもそもレバノン属国派が主に教団幹部ひいては元老院の重鎮におり
また彼らが私利を優先する者たちであったためさほど効果は無かった

このままでは二国間の戦争の火種になりかねない
そう考えたレバノン側は
アゼルトリアの有力貴族との政略結婚を画策する






  国間の蜜月 
2012/3/4*SAI・Photoshop

セオエル王の婚儀は滞り無く行われた
懸念されていたレバノン国内での反発は聖女が婚儀に参列することにより霧散した
聖女は参列スピーチでレバノンの繁栄を祈る祝詞を送ったため
レバノン国内の暗雲とした静寂が一気にガラリと歓喜に溢れる声へと変わったのだ
(かねてよりレバノン人は聖女に認められていない事がコンプレックスであった
聖女自身は認めているつもりだったのだがアゼルトリア国内での束縛が強く
レバノンの重要な催事には出席できないようことごとく妨害されていたゆえの誤解である)

今回の婚儀についてレバノン属国派の足がかりなのではと騒がれることもあったが
婚姻相手の親族は技術革新推進派であったため杞憂に終わった

この結果両国での技術交換並びに新技術の開発運動が活発になる
(アゼルトリアの技術革新推進派は技術革新には二国間の協力が必須で
尚且つお互いが互いを認め同等の位置に立つことでおこる競争が重要だと考えていた)


レバノン-アゼルトリア間の流通が活発になるにつれ
長らく根を張っていたレバノン人の劣等感は解消された






  髪の戦乙女条例 
2012/3/4*SAI・Photoshop

しかしそのような蜜月は8年しか続かなかった
黒髪の戦乙女条例の発令である
その条例には黒髪の迫害の他に
レバノン王国との外交の禁止も盛り込まれていた
レバノンで研究をしていたアゼルトリア人は強制送還を余儀なくされたにも関わらず
アゼルトリアで研究をしていたレバノン人は故郷へ帰ることを許されなかった
このことについて王兄が意義を申し立てにアゼルトリアへ出向いたが戻ることはなかった

しかし黒髪の戦乙女条例はたった1年で撤廃
政情は回復するかと思われたが
撤廃が民衆には周知されていたにも関わらず
教会の撤廃拒否により
疫病に見舞われた際、援助を求めることが出来ず
苦しい状況に呑まれることになる

またレバノン-アゼルトリア国境付近では
レバノン人の謎の死亡事故が多発している



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